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神戸地方裁判所 昭和53年(行ウ)25号 判決 1983年1月31日

原告

岡本常磐

右訴訟代理人弁護士

山内康雄

竹嶋健治

被告

兵庫県教育委員会

右代表者委員長

松澤秀雄

右訴訟代理人弁護士

奥村孝

右訴訟復代理人弁護士

鎌田哲夫

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対して昭和五二年一二月三日付でした懲戒免職処分を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告は、昭和五〇年九月一六日、兵庫県公立学校教員に臨時に採用されるとともに、同県立姫路商業高等学校(以下、「姫商」という。)講師に補職され、同年一〇月一日、同教員に採用され、同校教諭に補職された。

被告は、原告の任命、懲戒を行う権限を有するものである。

2  本件処分の存在

被告は、昭和五二年一二月三日、原告に対し、「所属の学校に出勤して職務に従事しなければならないのにもかかわらず、昭和五二年一〇月七日から同年一二月二日までの間引き続き欠勤し、職務を怠った。」との理由で懲戒免職の処分(以下、「本件処分」という。)をした。

3  本件処分の違法性

しかしながら、原告は姫商を欠勤したことも職務を怠ったこともない。

従って、本件処分は違法無効なものである。

4  よって、原告は、本件処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因第1項及び第2項の各事実は認める。

2  同第3項前段の事実は否認する。同後段の主張は争う。

三  被告の主張

1  本件処分事由の存在

原告は、正当な理由がないにもかかわらず、昭和五二年一〇月七日から同年一二月二日までの間、引続き姫商を欠勤し(以下、「本件欠勤」という。)、その職務を怠った。

2  本件欠勤に至る経緯

(一) 原告は、昭和五〇年一〇月一日から姫商の教諭に補され、同校で英語の教科を担当していた。

(二) 昭和五〇年度中の原告には、特筆すべき点はなかったが、昭和五一年度当初の同年四月八日、自宅の階段から落ちて頸部捻挫・頭部外傷の傷害を受け、右療養のためであるとして翌九日から昭和五二年三月三一日まで勤務しなかった。なお、その間原告は昭和五一年四月九日から同年五月六日までは年次休暇を取ったが、原告の右傷害が長期間の加療を要するものであることが判明したため、被告は、同月七日から同年一〇月八日までの間は原告に養療休暇を認め、翌九日から昭和五二年三月三一日までの間は原告を休職処分に付した。

(三) 原告は同年四月一日に復職したので、校長は、原告に教科面では比較的教えやすい一学年を担当させ、校務分掌面でも比較的生徒との接触が少い総務部を分担させた。

(四)(1) その後、原告は、同年六月中旬ころ、校長に対して授業がうまく行かないなどともらしたことがあったが、第一学期(同年四月六日から同年七月二七日まで)は勤勉に職務に従事し、第二学期も当初は出勤していたものの、同年九月七日、突然年次休暇を取って出勤しなかった。

(2) 当日姫商では、同和ロング・ホームルームが行われることになっており、原告は、一学年七組の右ホームルームの副担任として、資料を準備し、学習計画を立てて、右学級の生徒を指導することになっていた。

(3) そのため、翌八日に出勤した原告は、右学級の生徒らから「昨日のロング・ホームルームになぜ休んだのか。」と追及された。

ところが、原告は、これに対して「用があるから休んだ。」と答えるのみであったので、これに納得しない生徒らから、「来週の授業の時にはっきり理由を言ってほしい。」と言われていた。

3  本件欠勤について

(一) 原告は、同月九日及び一〇日は出勤したものの、その後同年一二月二日まで姫商に出勤しなかった。

(二) そして、その間原告は、同年九月一二日から同月一六日までの不出勤については、適法に年次休暇を取得しているが、同月一八日以降は、校長・教頭らが再三出勤するよう説得したにもかかわらず、これを無視して出勤しなかった。

ところで、原告が昭和五二年度において取得できる年次休暇は二〇日間であるところ、原告は、同年度において既に同年七月一五日及び同年九月七日の両日年次休暇を取得しており、また、同月一八日以降の不出勤についても年次休暇の取得を請求し、右請求について、校長は時季変更権を行使したが、原告が出勤しなかったので結局原告の請求を認め、原告の取得し得る限りで年次休暇による処理をしている。

従って、昭和五二年度における原告の年次休暇は、同年一〇月六日ですべて取得し尽されたことになる(日曜・祝日を除く。また、半日間の年次休暇が二回あった。)から、同月七日以降の本件欠勤については、正当な理由がない。

4  本件処分の正当性

以上のとおりであるから、原告の本件欠勤は、地方公務員法三〇条、三二条、三五条に違反する行為である。そこで、被告は原告に同法二九条一項所定の事由があったものと認め、本件処分を行ったものであり、本件処分は適法である。

四  被告の主張に対する認否

(略)

五  原告の反論

本件処分は、次の理由により違法である。

1  原告の本件欠勤には、正当な理由がある。((一)~(四)…略)

(五) 本件処分の違法性

(1) 原告の本件欠勤の当否は、単に欠勤の事実それだけを取り上げて論ずるべきものではなく、前記姫商問題以降の同校の異常な状況に対して原告が執った対応の一つとして、全体の経過の中で論じられるべきものである。

ところで、前記のような姫商の状況は、教師に対して、教育者としての良心を捨て去り、生徒の指導を放棄して生徒に迎合することを要求するものであるところ、原告は、このような姫商の現実に対し、教育者としての良心から、生徒の暴力や脅迫は許されるべきではなく、学校当局や教師が正しく指導すべきであると考え、行動してきたのであって、何ら非難されるべきものではない。

(2) 更に、県は、国と国家公務員との関係と同様、地方公務員に対し、県が公務遂行のために設置すべき場所、施設もしくは器具等の設置管理又は地方公務員が県もしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたって、地方公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮する義務(以下、「安全配慮義務」という。)を負っているものと解される。

従って、県がこのような安全配慮義務を尽さない場合には、地方公務員は職務専念義務を負わないものと解すべきである。

(3) 前述のとおり、教員、とりわけ原告が、事あるごとに生徒やこれに迎合する一部教員によって「糾弾」又は暴行を受けるという姫商の状態は、単に原告の教師としての公務遂行を阻害するというだけではなく、原告の生命及び健康にとって危険なものであったことは明らかである。しかるに、姫商の設置者である兵庫県の機関として、姫商の管理及び職員の任免その他の人事を担当している被告は、これに対して何ら適切な措置を執らずに放置してきたのであるから、原告が安全かつ正常に職務に専念従事できるための「安全配慮義務」を怠ったことは明らかである。

従って、原告には職務専念義務、すなわち、姫商への出勤義務及び同校で職務に従事する義務は発生しないものと解すべきであり、原告の同年九月一二日以降の不出勤も、このような状況の下で、原告が自己の身体の安全を守るためにやむを得ず執った措置であり、何ら非難されるべきものではない。

(4) このように、原告の本件欠勤は、正当な理由に基づくものであるから、これが地方公務員法三〇条、三二条、三五条に違反するとして行われた本件処分は違法である。

2  仮に、原告の本件不出勤が懲戒事由に該当するとしても、本件処分には、懲戒処分権を濫用した違法がある。

(一) 本件処分は、前述のとおり、原告が被告に対して再三改善措置を要請したにもかかわらず、被告が姫商の学校当局や一部教員らに対して適切な措置を執ることを怠り、前述のような姫商の異常事態を放置してきた責任を原告に転嫁するために行った処分である。

(二) また、前述の経過・実情及び処分までの被告の原告に対する対応からすれば、被告は本件処分を発令する前に原告に対して、(1)他の県立高校へ転勤させる、(2)一定期間教育研修所の研修を命ずる、(3)休職(病欠)として取扱う、などの措置をまず講ずるべきであった。

(三) 更に、本件処分発令直前までの被告及び学校当局の原告に対する対応は、被告が原告の要望を幾分かでも受け入れ、原告の不出勤の態度を事実上容認することになる結論を出すものとの期待を原告に抱かせるものであった。ところが、被告は、原告の不出勤の態度を懲戒処分の対象としていることを示唆することさえせず、いきなり原告の全く予期していない本件処分を強行した。

(四) 以上のような事情を考慮すれば、被告の行った本件処分は信義則に反し、懲戒処分権を濫用したものというべきである。

3  仮に、原告に対して懲戒処分を行うことが許されるとしても、前述した事情を考慮すれば、被告は、原告に対し、いきなり懲戒免職処分という重大かつ回復不能な処分を行うのではなく、処分についての警告的意味を含めた段階的、中間的な懲戒処分(訓告、戒告、減給等の処分)をまず行うべきであった。

しかるに、被告は、原告に対し、いきなり懲戒免職処分を行ったものであり、これは、通常の場合と比較してもあまりにも重い処分といわなければならない。

従って、本件処分には、被告が懲戒処分の種類の選択についての裁量権を濫用した違法がある。

六  原告の反論に対する認否(略)

七  被告の反論

1  原告の本件欠勤には、以下において述べるとおり、何ら正当な理由がないから、右欠勤を理由として行われた本件処分は適法である。

(一) 教育公務員の職務の特殊性

(1) 学校教育は、児童・生徒を対象とし、その人格の完成を目指し、その育成を目的として行われる指導である。

そして、この指導は、単に教科学習の指導に止まらず、児童・生徒の人格形成にかかわる生徒指導をも含むものであり、現に、学校教育法四三条、同法施行規則五七条の二によって文部大臣が制定、告示した高等学校学習指導要領にも、こうした生徒指導の必要性が明確に規定されている。

(2) このように高等学校における生徒指導は、教育の目的である人格の完成を目指した人間育成を行っていくために必要不可欠なものであり、その目的とするところは、すべての生徒のそれぞれの人格のより良き発達である。

そして、生徒指導が有効に実行されるためには、的確な生徒理解に基づく望ましい人間関係の実現が必要であり、特に非行生徒の指導に当たっては、教育愛、強い態度、根気のよい努力、的確な生徒理解、全教員の協力がなければ、適切な生徒指導はなし得ないのである。

(3) このような教育を通じて国民全体に奉仕する教育公務員の職務は、極めて複雑、困難かつ、高度な問題を取り扱うものであり、同じく公務であっても対物的公務はもちろん、一般的な対人的公務、例えば、社会福祉等とも異る。従って、教員には、専門的な知識、技能はもとより、哲学的な理念と確たる信念、責任感、使命感を必要とし、その職務を遂行していくためには、これに堪え得る十分な資質と絶えざる自己研さんが要求されるのである。

(二) 原告の職務に対する姿勢

ところが、原告は、次に述べるとおり、高等学校教員としての資質が十分に備わっていないうえ、生徒指導に対して何らの理解も示さず、逃避的な態度に終始した。

(1) 原告は、単に生徒に対して教科学習を指導することだけを教育と考え、生徒指導の重要性を理解せず、自ら積極的に生徒指導に取り組もうという姿勢が全くなく、生徒指導上の問題は努めて避けて通ろうとした。すなわち、

(イ) 昭和五二年九月一二日以降の不出勤の際、原告は、校長に対し、一方的に年次休暇を取らせてくれと要求し、これに対して校長が年間の教育課程の実施に支障を来たしている旨申し述べているにもかかわらず、「あんな学校には出て行けない、今すぐにでも転勤させて下さい。」などと述べて出勤せず、逃避的な態度に終始した。

(ロ) 同年六月ころ、原告の授業中に生徒がけんかを始めたときにも、原告は、右事実を校長、教頭、学年主任及び学級担任に報告しただけで、自らその原因を究明してこれらの生徒を積極的に指導していこうという姿勢はみられなかった。

(ハ) 原告は、既に昭和五一年中から転勤を希望していたが、その折にも、男子校等の生徒指導上問題のあることが予想される学校への転勤には応じない旨固執していた。

(2) 更に、原告の教科指導には、授業での指名が片寄ること、生徒の能力に比して難解な試験問題を出題すること及び原告の言語表現が少なく、その本意がどこにあるのかつかみにくいことなどの問題点が存在し、このことが生徒の不満を生じさせていた。

(三) 被告及び学校当局の対応

(1) 原告が姫商の教員として採用された昭和五〇年一〇月一日から本件処分までの期間は、約二年二か月であるが、その間、被告及び学校当局は、原告に対し、その教育者としての自覚を促し、原告が自主的、積極的な生徒指導を行い、これによって適切な授業が行えるよう、生徒指導のあり方を含む学校教育全般について、別表(略)(一)記載のとおり、再三助言を行った。

(2) ところが、原告は、これらの助言が非常に愚にもつかない抽象論であると決め付け、また、自己の欠勤についても、自己の責任ではなく、被告及び学校当局の誤った方針によるものであるとの独善的な見解を主張してその責任を他に転嫁し、校長その他の教員と協調し、協力していこうとする姿勢を見せなかった。

(3) 他方、原告は、昭和五二年の一学期の間及び二学期のうち同年九月一日から同月一一日までの間は、年次休暇を二日取得しているだけで、他の教員とほぼ同様に勤務しており、少なくともこの間は、原告の身体の安全が保障されないような状況にはなかったことが明らかである。そして、原告以外の他の教員は、本件欠勤期間中にも通常の勤務を行っており、この間、姫商において教員の身体の安全が保障されなかった事実はなく、このことは、被告の調査によっても確認されている。そして、被告及び学校当局は、原告に対し、同年一一月一九日、右調査結果を告知したうえで、原告に対して出勤を促している。

(四) 原告の県立高等学校教員としての不適格性

このように、原告は、生徒指導、教育公務員の勤務の特殊性、ひいては、教育全般に対する正しい理解、認識が欠如しているのであって、県立高等学校の教員としては不適格といわざるを得ない。

更に、原告が姫商の教員として採用された昭和五〇年一〇月一日から本件処分がなされるまでの間は約二年二か月であるが、原告は、その間昭和五一年四月九日から同月二九日まで、同年五月七日から昭和五二年三月三一日まで及び同年九月一二日から同年一二月二日までの一年余の間は、年休、病欠、療養休暇、休職又は欠勤により勤務しておらず、これを除く期間の一年余で生徒指導に行き詰ったからといって学校から逃避することは、教育者としての一端の自覚をも欠き、許されない姿勢というべきである。

2  本件処分には裁量権の濫用はない。

(一) 昭和五二年一〇月七日から同年一二月二日までの原告の不出勤を正当化する事由の存在しないことは前述のとおりである。

(二) 更に、以下に述べるとおり、原告の不出勤が事実上の欠勤と認められるような状況は、同年九月一七日から発生しているのである。

(1) 年次休暇は、法定要件の充足をもって法律上当然にその権利が認められ、使用者はこれを与える義務を負うが、その具体的行使のためには、行使する側に時季の指定という行為が必要であり、その効力の発生は、使用者の適法な時季変更権の行使を解除条件とするものと解すべきである。

(2) ところが、原告は、同年九月一七日の夜、校長に対し、一方的に「年休を戴きます。」と電話連絡をしたが、校長はこれに対し、「年休の変更権というのが校長にはあるんだから、その理由いかんによって年休をいつ取るかということを決めましょう。」、「年休は許せない。」と述べて労働基準法三九条三項但書に基づく年次休暇の時季変更権を行使している。

従って、前記期間については、原告において有効な年次休暇の行使があったとはいえず、学校当局としては、本来なら無断欠勤として処理すべきものであった。

(3) しかしながら、校長は、原告のこのような不出勤を無断欠勤とすることにより、将来原告が教育者に課せられた使命を自覚し、県立高等学校の教員として立直ろうとしたときに、不利益を受けることを考慮して、原告の取得し得る限り(前記期間)で年次休暇として処理したのである。

(三) 本件欠勤中にも被告及び学校当局は、以下に述べるとおり、再三原告に対して姫商に出勤するよう指導ないし勧告したが、結局、原告はこれに応じなかった。

(1) 校長らは、別表(二)のとおり原告方を訪問し、又は電話連絡したが、いずれも原告が不在であったため、同表記載の家族に対して原告が出勤するよう伝言を依頼した。

(2) 同年一一月一日には、原告から校長に電話連絡があったので、校長及び事務長において国鉄姫路駅南側の喫茶店まで原告を呼び出し面談したが、原告は「出勤はしない。」と答えた。

(3) 同月二、三日の両日校長が原告方に電話連絡したが、原告が不在であったため、原告の父に対して出勤するよう伝言を依頼した。

(4) 同月四日校長が前同様の電話連絡をしたところ、原告が応対したので、翌日学校に来ることを約束させ、翌五日、校長は、前記寺尾主事の来校を求めて同人と一緒に原告と面接し、約四時間にわたって教育問題、教育方法又は同和問題について、原告に意見を述べさせたが、原告は姫商への出勤については承諾しなかった。

(5) 同月一九日、前項と同じ顔振れで約三〇分間話し合ったが、原告は、「この学校には帰って来れません。何を言われても駄目なんです。」などと述べ、遂に出勤に応じなかった。

(四) 従って、これらの事情を考えれば、本件処分はやむを得ないものというべきであり、被告において権限を濫用したものではない。

3  以上のとおり、被告の行った本件処分は適法であるから、原告の反論は理由がない。

八  被告の反論に対する認否(略)

第三証拠(略)

理由

一  請求原因第1項及び第2項の各事実は、当事者間に争いがない。

二  本件処分の適法性について

そこで、本件懲戒免職処分が適法であるかどうかについて検討する。

1  本件事実関係について

(一)  次の各事実は当事者間に争いがない。

(1) 原告は、昭和五〇年一〇月一日、姫商教諭に補職されたのち、同校で英語の教科を担当していた。

(2) 原告は、昭和五一年四月九日未明、自宅の階段から落ちて頸部捻挫・頭部外傷の傷害を受け、右療養のためであるとして同日から昭和五二年三月三一日までの間、同校に勤務しなかった。

その間原告は、昭和五一年四月九日から同年五月六日までは年次休暇を取ったが、原告の前記傷害が長期間の加療を要するものであることが判明したため、被告は、同月七日から同年一〇月八日までの間は原告に療養休暇を認め、同月九日から昭和五二年三月三一日までの間は原告を休職処分に付した。

なお、原告は、右不出勤のころから他校への転勤を希望していた。

(3) 原告は、同年四月一日姫商に復職し、一学年の英語を担当することとなった。そして、その後の原告は、同年六月中旬ころに校長に対し、授業がうまく行かないなどともらしたことがあったが、第一学期(同年四月六日から同年七月二七日まで)は勤勉に職務に従事し、第二学期(同年九月一日から)も当初は出勤していたものの、同年九月七日、突然年次休暇を取って出勤しなかった。

当日姫商では、同和ロング・ホームルームが行われることになっており、翌八日に出勤した原告は、生徒らから前日の右ホームルームを欠席したことを非難された。

(4) 原告は、その後、同月九日及び一〇日は姫商に出勤したものの、同月一二日から同年一二月二日までは、同校に一日も勤務しなかった。

その間、学校当局は、別表(二)記載の各日時に原告の両親と接触して原告の出勤を促すとともに、同年一一月一日は校長において、同月五日及び一九日は校長及び被告から派遣された寺尾主事において、それぞれ原告と面接し、原告から不出勤の理由などを聴取するとともに、出勤を勧告し、更に、同月一九日には右寺尾主事が、姫商では原告の主張するような授業ができないという状況は存在しない旨の被告の調査結果を告げて原告の出勤を促した。

しかし、原告は、やはり出勤に応じなかった。

(5) その後、原告と被告又は学校当局との話合いは、同年一二月三日まで行われなかった。

同日、校長は、姫商において、被告から派遣された白木参事立会いのもと、呼出しに応じて出頭した原告に対し、その場で依願免職の書類を作成するよう説得したが、原告がこれに応じなかったので、原告に対する同日付懲戒免職処分の人事通知書を読み上げ原告に交付した。

(二)  (証拠略)を総合すれば、次の事実を認めることができ、原告本人尋問の結果中、この認定に反する部分は、前掲他の証拠に照らして信用できない。

(1) 原告赴任前における姫商の状況

(イ) 姫商では、昭和四九年一月一六日に開催された兵庫県高等学校教職員組合姫路商高分会の会議中に部落研生徒が無断で入場し、右会議を妨害するという事件が発生した。右部落研は、同校の生徒を構成員とし、学校教育の一環として活動していた研究会であるが、当時、解同の主義・主張を支持し、その運動方針に沿う活動をしていた。

(ロ) そして、部落研生徒及びこれを支持する一部教員は、右事件を取り上げた前記組合の「分会ニュース」第八七号を差別文書であると攻撃し(いわゆる一・一七事件)、これが職員会議でも問題となったことから、以後同校では、この問題を契機として部落研生徒らの教員、生徒に対する「糾弾」又は「話合い」と称する暴力的言動が行われるようになり、一部の教員がこれを支持するという状況が続いた(いわゆる姫商問題)。

(ハ) その間、これに対する被告及び学校当局の対応が、必ずしも適切・有効なものではなかったため、同校における生徒指導は乱れ、生徒による非行も続発し、そのことが新聞報道されたこともあった。

(ニ) 原告は、こうした姫商問題等が必ずしも解決されたとはいえない時期に同校に赴任することになったが、その時点ではこうした問題につき十分な知識を有していなかった。

(2) 原告赴任時における姫商の状況

(イ) 原告は、赴任当日の昭和五〇年九月一六日校長室で、約一〇名の教員から「なぜ高校を変わっているのか。」、「同和問題を御存じですか。」、「あなたは本校に同和教育をしに来られたのですね。」などと質問されたため、その状況に驚くとともに、不快感を感じた。

(ロ) 姫商では、新任教師を対象に、部落研生徒が「話合い」と称する集会を行っており、原告も外一名の新任教師とともに同年一一月一七日に同校の図書室で開かれた右話合いに出席した。

この話合いは、同日午後三時一五分ころから約二時間にわたって行われたが、その内容は、生徒の側から原告に対し、「この学校に来てから何で部落研に来なかったのか。」、「同和教育とは何か言ってみろ。」などと一方的に尋問・追及を行うものであり、その場には部落研の顧問である溝内、高田の両教諭も出席していたが、右教諭らは、こうした生徒の言動を制止せず、むしろ原告の見解を非難し、また、原告のこれからの実践を見るようになどと生徒を扇動するような発言を行った。

(ハ) その後、昭和五一年二月二五日の卒業式において、卒業生が「このままで行くと、また第二、第三の一・一七問題が生ずる。」と述べたことを受け、二学年生徒から同学年の教師団に対する話合の要求があり、その結果、翌二六日の放課後である午後三時一五分ころから約二時間にわたり同校本館一階会議室において話合いが行われた。その内容は、生徒から教員に対して一方的に授業の進め方及びテストの採点基準などにつき、乱暴な言葉使いで追及を行うものであり、これを原告が注意すれば逆に怒号が返ってくるという状態であった。

(ニ) 同月二八日にも前同様の話合いが午前九時三〇分ころから午後七時三〇分ころまで前記図書室で行われた。

このときは、主として原告と塚原教諭の二名に対し、約三〇名の部落研生徒を中心とする生徒らが追及し、これを約一〇名の教員が見守るものであり、その追及の内容も前回とほぼ同様であった。そして、こうした追及の過程で原告が「この学校は異常や。」と口走ったところ、生徒らは原告に向って殺到し、原告をその場に押し倒すという暴行を加えたうえ、逃げ出そうとした原告をつかまえて再び元の場所に連行し、「わしらのどこが異常なんや。それを今言うてみい。」などと言って迫り、原告の連行に加担した北川教諭ら一部の教員も、こうした追及に対して沈黙していた原告の態度を非難した。

(ホ) 同月二九日(日曜日)も同所において、午前一〇時ころから午後一〇時過ぎころまでの間、約一八〇名の生徒により、原告ら二名に対して追及が行われた。とりわけ、この場では前日の原告の言動が糾弾の対象になり、「何で逃げたんや。」、「お前それでも教師か。」などの暴言が発せられたため、原告において、「こういうことがもう一度あれば警察を呼ぶ。」と発言したところ、生徒らはまたもや原告に向って殺到したり、原告の面前で暴言を吐くなどの暴力的言動を行った。そして、この日の追及は、午後一〇時過ぎころ原告の父が原告を迎えにきて連れ帰るまで続けられた。

(ヘ) ところが、学校当局は、こうした事態を目撃しながら生徒の言動を制止するための有効な措置を執ることなく、ただ原告に対し、生徒との話合いを続け、生徒の真意を理解するようにとの指導・助言をするだけであり、また、このような「話合い」には欠席したいという原告の要望に対しては、身の安全は保障する旨を述べて出席を命じた。

(ト) その後、同年三月四日の職員会議において、溝内教諭及び北川教諭が原告の前記二月二八、二九日の発言を差別発言であると批判し、同職員会議においてもその旨決議された。

そこで、原告は、同年三月八日及び一六日の二回、いずれも午後三時半ころから約二時間にわたり、部落研生徒との間で話合いを行った。しかし、この時も前記二月末の集会を「話合い」とみるか「吊し上げ」とみるかで意見が対立し、結局物別れに終ったため、生徒側は「あの集会を話合いと認めない限り、お前の授業は受けない。」旨を言明した。

(チ) こうした事態が続いたため、原告は、同年三月二二日、被告の教育相談室を訪れ、応待に出た寺山相談員に対し、姫商の実情を報告するとともに、同校では教育が行えないから他校への転勤を希望する旨申し述べたところ、同人は、「県教委としても、姫商の状態は正常だとは思っていない。姫商は最も残念な学校の一つだ。」と述べて姫商が問題を抱える学校であることを認めたが、原告の希望には即答せず、「校長先生、教頭先生を信頼して頑張るように。」との助言を行った。

(3) 昭和五一年における不出勤

(イ) 同年四月一日付で姫商の校長が中村恭彦から宮重洋に替ったため、原告は、同月三日に新校長(以下、単に「校長」という。)と校長室で面接し、これまでの同校の状況を説明した。

これに対し、校長は原告を激励する趣旨の発言をし、合わせて、教師の権威を確立したい旨発言した。

(ロ) 同月八日の職員会議では、前記原告の「差別発言」問題につき、溝内教諭ら一部の教員が原告を批判したものの、特にこの問題で紛糾するというような事態にまでは至らなかった。

しかし、この日の会議は、翌九日午後零時ころまで続けられたため、原告は、帰宅後目まいを感じて階段から転落し、前記傷害を負った。

(ハ) その後、原告は前記のように不出勤を続けているが、これは現実に頭痛がし、首、肩等に痛みを覚えたことにもよるが、原告において、当時の姫商では到底授業を続けることができないと考え、右受傷を機会に不出勤を続けたものである。

その間、校長は、同月三〇日、同年五月一日及び同月四日に原告を姫商に呼び、病状を問い合わせるとともに、授業の進め方、とりわけ、生徒指導のあり方などにつき原告を指導した。

(ニ) 原告は、このように時折は姫商に出向いていたが、その間、同月六日には原告を認めた生徒らが原告を教室へ連行し、原告に対し、新学期以降授業を行わなかった理由を追及するという事態も発生している。

(ホ) ところで、こうした原告の不出勤中、校長は、原告の不出勤が長引いたため、被告に対して補充の時間講師の要請をする必要が生じ、その手続をするために必要であったことにもよるが、自ら原告の通院している病院に赴いて治療の見とおしを聞き、その結果を診断書に記載してもらって、この診断書により前記原告の療養休暇の申請手続をし、更に、原告の希望を受けて被告との間で原告の転勤につき交渉するとともに、個人的にも私立学校の教職を捜すなどの配慮を、原告のために行っている。

しかし、原告が他の公立高校へ転勤することは、所定の要件が備っていないために不可能であることが判明し、また、校長が個人的に捜して原告にあっせんした私立神港高等学校の教職については、原告において、男子ばかりで生徒指導がむずかしいだろうとの理由で、これを拒否した。

(ヘ) こうするうちに、昭和五一年度末も近づいてきたので、校長は、昭和五二年三月末ころ、原告を姫商に呼び出し、「残された道は、退職するか復職するかのどちらかである。学校も変わっている。反抗的だった一部の生徒も卒業した。今残っている先生達も暖かく迎えてやりたいと言っておられる。前のようなことはない。」などと申し向けて復職を説得したところ、原告は、右説得に応じて同年四月一日から復職することとし、同月六日から現実に姫商に出勤した。

(4) 本件欠勤に至るまでの経緯

(イ) 同年四月七日に開催された職員会議で校長が原告の復職を報告したところ、溝内教諭らは、またも原告の同和問題に対する姿勢を非難したが、この問題は、姫商の教員で組織する同和教育推進委員会に委ねるということで紛糾に至らず、解決を見た。

(ロ) 原告は、復職後は一学年を教えたが、同年五月ころからは、授業中生徒が私語をするようになり、更に、同年六月下旬ころには、授業中に生徒が故意に喧嘩を行い、その時の原告の生徒に対する対応に不満があるとして、その後の授業において高音でラジオを掛け、これを注意した原告に食って掛かるという事態が生じた。

しかし、原告は、これらの生徒の行動を校長又は担任の教員に告げたものの、これらの生徒に対して自ら真剣に取り組んで指導を行うことはなかった。なお、こうした生徒の反抗は、一時期原告を含む比較的経験の浅い教員に対して行われていたものであり、原告に対して特に集中されたというものではなかった。

(ハ) こうしたことから、原告は、同月中に校長に対し、授業がうまく行かない旨を訴えているが、その際にもただ「もうだめですわ。」というだけであり、自ら具体的事実を説明したうえで、指導を受けようとする態度はみられなかった。

そこで、校長は、まず事実関係を原告から聴取したうえで、「なぜ生徒達がそういうふうになるのか、自分の授業がどうなのかを点検し、生徒との接触についても、生徒が何を求めているのか、それを本当に知らなければならない。」などの助言を行い、具体的な点については教頭と相談するよう指示した。

(ニ) その後一学期の期末試験終了後、溝内教諭のクラスの一部の生徒が、原告の試験問題の出題及び答案を直接生徒に返却しなかったことにつき、原告を非難したものの、この点についていわゆる「話合い」の場を設けて追及するというような事態にまでは至らないままで夏休みに入った。

(ホ) 原告は、夏休み中に社教育研究所で行われた被告主催の英語科研修会に参加し、二学期に入ってからも同年九月一日から同月六日までは一応平穏に授業を続けていたが、同月七日は年次休暇を取って出勤しなかった。

右不出勤は、原告がその前日に溝内教諭から同教諭が主担任、原告が副担任となっている一年七組の同和ロング・ホームルームの担当を頼まれたことから、右授業の際に再び自己の発言をとらえて追及を受けることを心配し、そのために右授業を行う自信を喪失したことによるものである。

ところで、右ホームルームは、生徒に対し、同和問題の基本とともに人権一般について教えるための時間であり、姫商では、一か月に二回各五〇分(一時限)がこれに充てられていた。

そして、同月七日の右ホームルームでは、原告が予め資料を準備し、学習計画を立てて、右学級の生徒を指導することになっていたにもかかわらず、当日の朝になってから電話で年次休暇を取る旨を連絡して出勤しなかったため、結局、右学級については、その日のホームルームが実施できなかった。

(ヘ) そのため、翌八日に出勤した原告は、右学級の部落研生徒らから前日の欠席の理由を詰問された。しかし、原告は、これに対して単に「疲れたから休んだ。」旨答えただけであったので、これを不満とする右生徒らは、「死ぬほどしんどかったんか。差別で何万人人間が死んどるか知っとんのか。みとけ、お前の授業できんようにしてやるわ。」などと原告を追及し、一年の学年主任であった赤川教諭も原告の前日の不出勤や同和教育に対する姿勢を非難した。

(ト) そして、同月九日及び一〇日には、同校の球技大会が開催されたが、同月一〇日、田村教諭が卓球場に土足で入ろうとした生徒を注意した際の発言を部落研生徒が差別発言であるとして取り上げ、部落研の主催する緊急集会において、同教諭を糾弾するという事態が生じた。

(チ) この事件を契機に原告は、もはや同校での勤務には耐えられないと考えるようになり、同月一二日以降の出勤を行わないことを決意した。

(5) 本件欠勤時の状況

(イ) 同月一二ないし一六日は、原告の事前の連絡があったので、校長は、これらの日を年次休暇扱いとし、同月一七日については、こうした連絡がなかったため、欠勤扱いとした。

そして、同日夜、原告から校長の自宅へ「これから年休を取らして頂きます。」との電話があったので、校長は、原告に対し、このように年次休暇を続けて取る理由を質問したが、原告は、これに答えず、その後も不出勤を繰り返した。しかし、校長は、原告の利益を考えて取り得るだけの年次休暇を認めた。

ところで、昭和五二年度において原告の取得し得る年次休暇は二〇日であるところ、原告は既に同年七月一五日、同年九月七日及び同月一二ないし一六日に年次休暇を取っているので、原告の年次休暇は同年一〇月六日(同年九月一八日以降半日間の休暇が二回あった)ですべて使用し尽されたことになる。

(ロ) しかし、その後も原告は、前記学校当局による出勤勧告を無視して不出勤を続け、更に、前記のとおり、被告から派遣された寺尾主事と校長が原告と面接して不出勤の理由の聴取及び出勤の勧告を行ったのに対しても、「とにかく出られない。」、「今すぐにでも転勤させて下さい。」、「まともな学校にやらせて下さい。」などと答えるだけで、出勤することの承諾はしなかった。

(ハ) 同年一二月三日、校長は、既に被告から原告に対する懲戒免職処分の人事通知書を受領し、原告に交付するよう指示されていたが、原告が退職願いを出せば依願免職の扱いをすることを認められていたので、同日、原告を姫商に呼び出し、右人事通知書を交付する前に原告に対し、約二時間にわたって退職願いを提出するよう説得したが、原告がこれを拒否したので、右人事通知書を読み上げ、原告に交付した。

2  本件欠勤の正当事由の有無について

そこで、右認定の各事実を前提として、原告の本件欠勤に正当な理由があるかどうかにつき、検討する。

(一)  安全配慮義務について

(1) 地方公共団体と地方公務員(以下、「公務員」という。)との間における法律関係につき、地方公務員法は、公務員が職務に専念すべき義務(同法三〇条)並びに法令及び上司の命令に従うべき義務(同法三二条)を負い、地方公共団体がこれに対応して給与支払義務(同法二五条)を負うことを定めているが、地方公共団体の義務は右の給付義務にとどまらず、信義則上、公務員に対し、地方公共団体が公務遂行のために設置すべき場所、施設もしくは器具等の設置管理又は公務員が地方公共団体もしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理にあたって、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下、「安全配慮義務」という。)を負っているものと解すべきである。

従って、地方公共団体の機関として、地方公共団体の設置する学校の管理、その職員の任免その他の人事を担当する教育委員会は、その所管の学校に勤務する教育公務員(以下、「教員」という。)に対し、右安全配慮義務の具体的内容として、教員の勤務する学校の物的設備及び生徒をも含めた人的環境が、教育活動を行う当該教員の生命・身体及び健康等に対する危険を生じないよう配慮するとともに、万一、具体的な右危険が発生した場合には、これを除去するために適切な措置を執る義務があり、仮に、教育委員会がこのような措置を執らない場合には、教員は教育委員会又は学校当局に対し、右措置を要請することができ、更に、右要請にもかかわらずなお右危険が除去されない場合には、その危険の内容及び程度により教員の職務専念義務が発生しない場合もあり得るものと解するのが相当である。

(2) しかしながら、教員の職務内容である教育とは、教員が発達途上にある児童・生徒の人格の完成を目指してこれを指導するものであり、それは、単に教科学習の指導だけに止まるものではなく、児童・生徒の人格のよりよき発達を目指した指導、すなわち生徒指導をも含むものである。

そして、このような生徒指導が有効適切に行えるためには、生徒指導を行う教員と生徒との間に相互の信頼に基づく好ましい人間関係が形成されていることが必要であり(このことは、教科学習の指導において所期の目的を達成するためにも必要である。)、そのためには、教員が生徒を正しく理解し、積極的に生徒と接する態度を取ることが必要である。もっとも非行や問題行動を起す生徒の指導には、その原因の個別性とも相まって、さまざまの困難が伴うことが予想されるが、このような場合にも、教員としては、教育愛に基づいた的確な生徒理解、確固たる態度及び当該教育現場における全教員の協力等のもとに粘り強い努力が必要であり、特に、非行や問題行動を起し勝ちな年令層の生徒の教育を行う中学校及び高等学校においては、生徒指導は重要かつ不可欠であって、すべての教員がこれに取り組まなければならないものというべきである。

そして、このような生徒指導を行うことが、教員の服務の場所である学校の人的な環境を改善することにもなるのであるが、教育委員会は教育行政機関であって、教員に対する指導・助言を行うべき権能を有しても、生徒を直接指導すべき立場にはなく、生徒に対する直接の指導は、校長を含む当該学校の教員が行うべきものであることはいうまでもない。

(3) 以上述べたような点を考慮すると、教員公務員は、それぞれが生徒に対する教育という自己の職務を通じて、その職場の人的な環境を望ましい方向に形成していく権能を有するとともに、反面、その責務をも負っているものというべきである。

そして、教員がその職務を放棄して学校に出勤せず、又は出勤しても授業を行わないということは、単に生徒の履習すべき教科の学習に支障を来たすことだけに止まるものではなく、発達途上にある生徒の心理に悪影響を及ぼし、このことによってもたらされる生徒と教員との間の信頼関係の破壊によって、その学校の人的環境が悪化し、場合によっては、自らの生命・身体及び健康に対する新たな危険を招来することにもなりかねないものであるから、教員がその職場である学校に出勤しないこと又は出勤はしても生徒に対する授業を行わないというようなことは、極力避けなければならないものである。

(4) 従って、仮に、教育委員会及び学校当局において、教員に対する安全配慮義務を尽したといえないような事情があったとしても、少なくともそれが生徒の非行若しくは問題行動又は他の教員との教育方針の相異等に起因する人的環境に関するものである場合には、当該教員は、教育委員会及び学校当局に対し、その生命・身体及び健康に対する危険の排除又は是正を求めるだけではなく、自らも積極的に当該生徒を指導し、あるいは当該教員を説得して自己の教育方針に対する理解を求めるなどして、その職場を改善するための努力をすべきである。そして、前述した授業放棄が職務専念義務の不存在の結果として認められるのは、当該教員による右のような具体的な努力があったにもかかわらず、もはや、生徒の非行が教育の限界を超え、あるいは、生徒と教員との間及び教員相互間の信頼関係並びに学校内の秩序が完全に破壊され、単に当該教員による正常な教育活動が行えないというだけではなく、右教育活動を行うこと自体が当該教員の生命・身体及び健康に対する著しい危険を招来するという状況にありながら、教育委員会及び学校当局において、何らの措置も講じないというような極めて例外的な場合に限られるものと解すべきである。

(二)  本件事実関係について

そこで、これを本件についてみることとする。

(1) 前記認定の事実によれば、原告在職中の姫商では、教員の一部が生徒に対し、学校教育の中における同和教育という枠を逸脱し解同の運動がすなわち同和教育であるかのような指導を行い、これを受けた部落研所属の生徒らが、他の生徒及び教員に対し、機会があるごとに「話合い」と称する暴力的言動を行い、こうした事態は、いわゆる「姫商問題」の発生後、特に顕著になっていたにもかかわらず、被告及び学校当局は、こうした生徒の言動に対して有効適切な措置を講じておらず、その結果、教員は、生徒に対して十分な生徒指導を行う自信を喪失し、こうした生徒指導上の混乱が新たな生徒非行を生み出すという状況にあったものということができる。そして、こうした同校の状況は、到底正常な教育現場であるといえないことはいうまでもなく、当時の被告の担当者もこれを認めていたことは前記認定のとおりである。

ところで、こうした姫商における混乱を招来した直接の責任は、当時の部落研生徒及びこれに同調した溝内、高田両教諭を始めとする一部の教員にあることはいうまでもないが、他面、こうした事態を現認又は把握しながら、これを放置したとはいえないにしても、少なくとも、これらの状況に対する有効適切な措置を執らなかった当時の被告及び学校当局にも、右責任の一端が存するものといわなければならない。

(2) しかしながら、このように姫商の状況が異常であったとはいえ、少なくとも、原告赴任後は、同校における前記「話合い」又は授業中における生徒と教員とのトラブルが刑事事件に発展し、被害を受けた生徒及び原告を含めた教員から警察に対し、被害事実が申告されたことをうかがわせるような証拠はなく、この事実に、前記認定の各事実を合わせ考えると、本件欠勤当時のみならず、原告在職期間中の姫商において、原告に対し、職務専念義務を免除しなければならないほどの生命・身体及び健康に対する危険が存在したものとは認め難い。

なお、原告は、昭和五一年二月末の合計三回の「話合い」、とりわけ、同月二九日のそれは、その実質において、監禁にも等しいものであった旨主張する。

しかし、前掲各証拠によれば、原告は、一応自己の意思でこれら三回の話合いに出席していること、同月二九日に原告を迎えに来た原告の父に対しては何らの暴行も行われておらず、また、父とともに帰宅しようとする原告を阻止しようとした事実もないこと及び原告は、その後このような形での追及は一度も受けていないことの各事実が認められ、これらの事実に照らせば、原告本人の供述のうち、前記認定事実を上回る暴行、脅迫があったとの部分はにわかに信用することができず、他にこれを認めるに足りる証拠もない。

(3) また、原告は、昭和五一年四月九日以降の不出勤の際、校長が診断書の準備など原告の不出勤に関する手続的な配慮をしたのは、校長自身当時の姫商が、原告の生命・身体及び健康に対して危険な状況にあったことを認めていたことによるものである旨主張するので、この点について検討する。

確かに、前記認定のとおり、宮重校長は、不出勤中の原告に対し、自ら原告の主治医を訪れて診断書の作成を依頼するなどの配慮を行っているが、前掲各証拠によれば、更に以下のような事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(イ) 当時姫商では、原告が、昭和五一年四月九日の不出勤以降、短期間の療養を要する旨の診断書を何度も更新して学校当局に提出したため、授業計画を組み替えることも、被告に対して補充の時間講師の要請をすることもできないまま約一か月の間、原告の授業に代えて生徒に自習させたり、課題を与えるなどの措置を執っており、原告の不出勤により、生徒のみならず自習の監督等を行う他の教員も多大の迷惑を被っていた。

(ロ) しかるに、原告から同年五月七日以降更に療養のために欠勤する旨の連絡があったので、校長が同月八日、原告方を訪れたところ、原告は更に一か月間の療養を要する旨の診断書を示した。そこで、校長としては、一か月程度の小刻みではなく、より長期の見とおしが知りたいと考え、原告の主治医と会ってその病状を尋ねたところ、右主治医は、原告の症状は相当長期にわたる療養を必要とするものである旨を述べた。

(ハ) そのため、校長は、原告を長期療養休暇扱いにして被告に補充の時間講師を要請する必要があると考え、前記主治医に対し、学校の授業計画を立てるために必要であるとして、前記見とおしのとおり長期間の加療を要する旨の診断書を作成してもらいたい旨依頼して三か月の診断書を作成してもらい、これにより原告を長期療養休暇扱いとし、補充の時間講師の要請をした。

右認定事実によれば、原告の不出勤に対する校長の手続上の配慮は、原告不出勤中の姫商の授業計画を立て、補充の時間講師を要請するためにしたものと認めるのが相当であり、原告の主張するような事実は、認められない。

(4) 更に、前記認定の各事実に(人証略)を合わせ考えれば、原告は、昭和五二年九月一二日以降、被告及び学校当局から再三にわたって出勤の勧告及び指導助言を受けたにもかかわらず、自己の不出勤の原因が被告及び学校当局にあるものと一方的に決めつけて、これに応じようとはせず、かえって、他校への転勤を希望し、これについても男子校などの生徒指導上問題のあるところは困るなどと述べるだけであり、また、その間の被告及び学校当局による指導助言に対しては、これを抽象論であると批判するのみで、自己の問題として、深刻に受け止め、解決を見出していこうという姿勢がなかったことが認められる。

(5) 以上認定してきた事実によれば、姫商赴任後の原告は、同校の異常な状況を見聞又は体験した結果、自ら問題に対して積極的に取り組むことによって生徒との信頼関係を形成しようとする意欲を喪失し、同校における生徒指導をできる限り回避しようとする一方、一日も早い他校への転勤を希望するという逃避的な態度に終始したため、こうした消極的な原告の態度が生徒及び一部教員の反発を招き、更に原告に対する非難、追及を誘発するという悪循環を生み、その結果、原告は、同校へ出勤しようという意欲すら失い、生徒に対して授業を行うという自己の責任すら放棄して本件欠勤に及んだものと認めるのが相当である。

(6) 従って、本件欠勤の遠因としては、前述した姫商の異常な状況が掲げられるものの、その直接の原因は、独善的ともいうべき原告自身の姿勢及び教育公務員としての自覚の欠如によるものであって、右遠因を考慮したとしても、なお、本件欠勤を正当化することはできないといわなければならない。そして、前述のとおり、本件欠勤期間は、何らの休暇にも該当しない。

(三)  以上のとおりであるから、本件欠勤が正当な理由に基づくものであるとの原告の主張は理由がなく、採用できない。

3  懲戒処分権及び裁量権の濫用の主張について

(一)  原告が本件欠勤をしたことは当事者間に争いがなく、原告の本件欠勤に正当な理由がないことは前記のとおりであるから、原告の本件欠勤が地方公務員法三〇条、三二条、三五条に該当する行為であることは明らかである。

(二)  ところで、地方公務員に対する懲戒処分は、当該公務員に職務上の義務違反、その他、その所属する当該地方公共団体の住民全体の奉仕者たる地方公務員としてふさわしくない非行がある場合に、その責任を確認し、公務員関係の秩序を維持するために科される制裁である。そして、地方公務員に懲戒事由がある場合に懲戒権者が、懲戒処分を行うかどうか、懲戒処分を行うとして、いかなる処分を選択するかは、その判断が広範な諸事情を総合考慮したうえ行われるものであるから、平素から職場内の事情に精通し、部下職員の指揮監督の衝にあたる懲戒権者の裁量に任されているものと解すべきである。

従って、懲戒権者が右の裁量権の行使としてした懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして、違法とならないというべきであり、裁判所が右の処分の適否を審査するに当たっては、懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用したと認められる場合に限り違法であると判断すべきものである。

(三)  そこで、右の見解に立って、本件処分が社会観念上著しく妥当を欠くものと認められるかどうかについて検討するのに(証拠略)によれば、本件欠勤は、昭和五二年度の二学期開始後まもなく始まった年次休暇の後を受けて連続四七日間(日曜、祝日を除く)に及ぶものであったが、前記昭和五一年の不出勤の場合とは異なり、傷病等によるものではなく、今後原告がいつ出勤してくるかの予測がつかない状況での欠勤であったため、姫商においては、その間、講師の要請はおろか、授業計画を組み替えて原告の代わりに同校の他の教員をあてることもできず、二学期以降の教育課程の実施に支障を来たし、他の教員及び生徒も多大の迷惑を被ったことが認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実に前記認定の姫商赴任後の原告の勤務状況及び生徒指導に対する姿勢、本件欠勤中の原告の態度並びにその間の被告及び学校当局の対応などを合わせ考えれば、前述した原告在職当時の姫商の状況及びこれについての被告の帰責の程度を考慮に入れても、本件処分が被告の責任を原告に転嫁するために被告が懲戒処分権を濫用してした処分であるということはできず、また、本件処分が社会観念上著しく妥当を欠く処分であるともいえない。そして、他にこれを肯認すべき事情の存在を認定するに足りる証拠はない。

(四)  なお、原告は、本件処分を行う直前の被告の対応は、原告に対して転勤の希望がかなえられるとの期待を抱かせるものであるから、このような態度をとってきた被告が突如行った本件処分は信義則に反し、懲戒処分権の濫用に当たる旨主張するが、原告本人の供述中、右被告の態度に関する部分は、前掲各証拠に照らし、にわかに信用することができず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

従って、原告の右主張はその前提を欠くから、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

(五)  以上のとおりであるから、原告の前記主張も理由がなく採用できない。

4  本件処分の適法性

以上のとおりで、原告の本件欠勤は地方公務員法三〇条、三二条、三五条に該当するから、同法二九条一項二号、三号に基づいて行われた本件処分は適法なものというべきである。

三  結論

よって、原告の本訴請求は理由がないものとして、これを棄却し、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 村上博巳 裁判官 笠井昇 裁判官 田中敦)

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